2009年7月14日

素麺の伝来

素麺は日本国内では奈良県桜井市が発祥の地とされており、奈良時代に唐から伝来した唐菓子の一つ、索餅(和名で「麦縄」とも書く事もある)に由来するとする説が広まっている。
元々「索餅」は古代中国の後漢や唐の文献に度々出てくる言葉であり、日本では天武天皇の孫、長屋王邸宅跡(奈良市)から出土した木簡が最も古い記録となっている。原形はもち米と小麦粉を細長く練り2本を索状によりあわせて油で揚げたもので、現在の油条に似たものと考えられる。唐菓子の索餅は神饌として現在でも用いられており、素麺の原形を知る手がかりとなる。
索餅の材料・分量・道具については平安時代中期の『延喜式』に書かれており、小麦粉と米粉に塩を加えて作る麺(米粉は混ぜないという説もある)という事は分かっているが、形状については不明であり現在の素麺や饂飩よりもかなり太く、ちぎって食べたのではないかとする説が有力的である。
祇園社の南北朝時代の記録である『祇園執行日記』の康永2年(1343年)7月7日の条に、麺類を指す言葉として索餅(さくべい)、索麺・素麺(そうめん)と三つの表記があり、これが「そうめん」という言葉の文献上の初出とされている(南北朝時代の「異制定訓往来」が「素麺」の初出という説もある)。
平安時代には七夕に索餅を食べると病(マラリア性の熱病)に罹らないという中国の故事に倣って宮廷での七夕行事に索餅が取り入れられていた。
室町時代には現在の形になったとされ「索餅」「索麺」「素麺」の名称が混じって用いられたが、やがて「素麺」が定着したといわれている。
その他の説として、南北朝時代に元から禅僧の往来や貿易によって伝えられたもの、という説がある。
中国では日本よりもはるかに早く、北宋時代に「索麺」の表記が出ている。南宋時代末期から元初期頃の『居家必要事類全集』という百科全書に出ている索麺の作り方には「表面に油を塗りながら延ばしていくことで、最後に棒に掛けてさらに細くする」等といった日本の手延素麺の製法と酷似した特徴が書いてある。
奈良時代から南北朝時代には形状が不明であった索餅がこの時代を境に形状が解明されてきているが、索麺はそれまでの索餅と形状も名称も似ているため、言葉の混用が起きたと考えられている。
室町時代は、茄でて洗ってから蒸して温める食べ方が主流で、蒸麦や熱蒸とも呼ばれた。また、この時代の文献には梶の葉に盛った索麺は七夕の風流 という文章も残されている。またこの時代の宮廷の女房詞では、素麺を「ぞろ」と呼んでいた。
江戸時代には、七夕にそうめんを供え物とする習俗が広まっていった。これは細く長いそうめんを糸に見立て裁縫の上達を祈願したものである。

『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
奈良県桜井市が発祥の地とされているようです。

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2008年5月 7日

メガラニカ

南の地?

メガラニカ、マガラニカ、マゼラニカ(Magallanica、Magallánica)は、かつて南極を中心として南半球の大部分を占めると推測された仮説上の大陸のことである。

テラ・アウストラリス(ラテン語 Terra Australis、南方大陸)ともいうが、この語はのちにオーストラリア大陸を指すようになり、現在でも雅語・文語的に使われることがある。未発見であることを強調し、テラ・アウストラリス・インコグニタ(Terra Australis Incognita、未知の南方大陸)ともいう。

「メガラニカ」は、メガラニカの一部と思われたフエゴ島を発見したフェルディナンド・マゼラン (Magallanes) にちなんだ、比較的新しい名である。形容詞として使って、テラ・マガラニカ (Terra Magallanica、メガラニカ大陸) ともいう。漢字表記は墨瓦臘泥加・墨瓦臘尼加だが、1708年に日本で出版された「地球万国一覧之図」には誤って黒瓦臘尼加と書かれている。

大航海時代
テラ・アウストラリスは長く仮説にすぎなかったが、大航海時代に突入すると、その一部と思われる陸地が発見されるようになった。

1520年にフェルディナンド・マゼランの艦隊が水平線上に垣間見た陸地(現在のフエゴ島)は、南極まで続く新大陸メガラニカの最北端だと思われた。フエゴ島と南アメリカ大陸の間のマゼラン海峡は大西洋と太平洋を結ぶ唯一の水路だと思われた。しかし1578年にフランシス・ドレークがホーン岬とドレーク海峡を発見し、フエゴ島が島であることを明らかにした。

1526年に発見されたニューギニア島も、メガラニカの一部と考えられたことがある。

1606年にウィレム・ヤンツがニューオランダ(現在のオーストラリア大陸)西海岸を、1646年にアベル・タスマンがニュージーランドを発見すると、ついにメガラニカが発見されたと考えられた。この時代、メガラニカは想像上の大陸ではなく、新しく発見された実在の大陸とみなされていた。

クック以降
しかし、ジェームズ・クックにより事態が変わった。クックは1768年?1771年のエンデバー号による第1次航海の道中の1769年、タスマンの発見以来白人が訪れていなかったニュージーランドを訪れた。そしてニュージーランドを船で一周し、これが島であることを証明した。さらに1770年、ニューオランダの東海岸を発見した。まだ全ての海岸線が発見されたわけではなかったが、ニューオランダがメガラニカの一部である可能性はほぼ消えた。こうしてメガラニカはふたたび未発見に戻ったが、さらに高緯度にメガラニカが存在すると考える人は多かった。

クックはイギリス王立協会からメガラニカの発見を依頼され、1772年?1775年にレゾリューション号とアドヴェンチャー号で第2次航海をおこなった。クックは南半球中高緯度を周遊し、1773年には南極圏にまで到達した。南ジョージア島、南サンドウィッチ諸島、クック諸島、ニューカレドニア島、ニウエ島など多数の島を発見し、巨大な氷山を見たものの、大陸は見つからなかった。

こうしてメガラニカの存在は完全に否定された。ただしその後もニューオランダはテラ・アウストラリスと呼ばれ続け、さらに変化したオーストラリアという呼び名がマシュー・フリンダースにより広められた。

まだ高緯度にはいくらか未探検の領域が広がっていたが、すでに地図の空白を空想で埋める時代ではなく、メガラニカが描かれることはなくなった。1820年ごろにはついに南極大陸が発見されたが、かつて想像されたメガラニカよりはるかに小さな大陸であり、別物と考えられた。
(以上、ウィキペディアより引用)

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2008年3月21日

性行為

せいこういの話!

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性行為(せいこうい)は、主に男女が性的欲求に従い、お互いの身体、特に性器(生殖器官)や性感帯などを刺激する行為。性交(男性器陰茎を女性器膣に挿入し射精する行為)を含むが、それ以外にも多様な行為がある。

異性間の性交は、典型的には 男女のキスから始まり、互いの体を愛撫し、膣への指挿入、クンニリングス、フェラチオなどの行為(前戯)を行って、興奮を高めたのち、性交(セックス・性器結合)に至るものであるが、同性間の場合や、オーラルセックスのみで完結する場合もあり、人間の性行為は様々な形態を取りうる。生殖器以外を刺激する行為も含まれる。例えば男性が女性の身体(主に乳房や乳首、尻など)を愛撫することなどである。

本来、性交は子孫を残すための本能的な行為であるが、パートナー間のコミュニケーションの手段や、快楽を伴う行為自体を目的として行われる場合も多い(この場合は同性間も含むことがある)。ただし、大多数の国家では公衆の面前で御行為に及ぶのはご法度とされる。
(以上、ウィキペディアより引用)

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