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素麺の伝来

素麺は日本国内では奈良県桜井市が発祥の地とされており、奈良時代に唐から伝来した唐菓子の一つ、索餅(和名で「麦縄」とも書く事もある)に由来するとする説が広まっている。
元々「索餅」は古代中国の後漢や唐の文献に度々出てくる言葉であり、日本では天武天皇の孫、長屋王邸宅跡(奈良市)から出土した木簡が最も古い記録となっている。原形はもち米と小麦粉を細長く練り2本を索状によりあわせて油で揚げたもので、現在の油条に似たものと考えられる。唐菓子の索餅は神饌として現在でも用いられており、素麺の原形を知る手がかりとなる。
索餅の材料・分量・道具については平安時代中期の『延喜式』に書かれており、小麦粉と米粉に塩を加えて作る麺(米粉は混ぜないという説もある)という事は分かっているが、形状については不明であり現在の素麺や饂飩よりもかなり太く、ちぎって食べたのではないかとする説が有力的である。
祇園社の南北朝時代の記録である『祇園執行日記』の康永2年(1343年)7月7日の条に、麺類を指す言葉として索餅(さくべい)、索麺・素麺(そうめん)と三つの表記があり、これが「そうめん」という言葉の文献上の初出とされている(南北朝時代の「異制定訓往来」が「素麺」の初出という説もある)。
平安時代には七夕に索餅を食べると病(マラリア性の熱病)に罹らないという中国の故事に倣って宮廷での七夕行事に索餅が取り入れられていた。
室町時代には現在の形になったとされ「索餅」「索麺」「素麺」の名称が混じって用いられたが、やがて「素麺」が定着したといわれている。
その他の説として、南北朝時代に元から禅僧の往来や貿易によって伝えられたもの、という説がある。
中国では日本よりもはるかに早く、北宋時代に「索麺」の表記が出ている。南宋時代末期から元初期頃の『居家必要事類全集』という百科全書に出ている索麺の作り方には「表面に油を塗りながら延ばしていくことで、最後に棒に掛けてさらに細くする」等といった日本の手延素麺の製法と酷似した特徴が書いてある。
奈良時代から南北朝時代には形状が不明であった索餅がこの時代を境に形状が解明されてきているが、索麺はそれまでの索餅と形状も名称も似ているため、言葉の混用が起きたと考えられている。
室町時代は、茄でて洗ってから蒸して温める食べ方が主流で、蒸麦や熱蒸とも呼ばれた。また、この時代の文献には梶の葉に盛った索麺は七夕の風流 という文章も残されている。またこの時代の宮廷の女房詞では、素麺を「ぞろ」と呼んでいた。
江戸時代には、七夕にそうめんを供え物とする習俗が広まっていった。これは細く長いそうめんを糸に見立て裁縫の上達を祈願したものである。

『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
奈良県桜井市が発祥の地とされているようです。

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2009年7月14日 10:57に投稿されたエントリーのページです。

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